bamboo art: GEN Mitsuhashi________ 竹の造形 三橋 玄


作品解説  「醍醐の水 如意」




京都「醍醐寺」にて
  at"Daigo-ji"temple, Kyoto, Japan 2013
2013年8月
width 14m, hight 6m


如意01

醍醐寺は、聖宝理源大師によって創立された真言宗醍醐派総本山の寺院で、200万坪以上の広大な境内を持ち、世界遺産に登録されている。
豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られ、多数の国宝、重要文化財を有している。

如意02

醍醐寺伽藍から約一時間の山道を超えたところに上醍醐がある。
醍醐山頂は標高450mで、西国一険しい札所とされている。ここに霊泉「醍醐水」が今も湧いている。
貞観16年(874年)開祖・理源大師の前に地主神横尾明神が現れ、
「永く此の地を師に献ぜむ。よく密教を弘め群生を利済せよ、吾も亦擁護せむ」と告げ、
落葉をかきわけ、その下から湧出した泉をくんで「あヽ醍醐味なる哉」の言葉をのこして姿を消したと伝えられる。
醍醐とは当時のチーズで、その濃厚な味から「最上の味」の意味をもっていた。
心の糧として仏法が最高であることを示唆しているのだろう。

醍醐寺の発祥、本質は、霊泉「醍醐水」にあるように思え、
私は、初日に上醍醐へ登り、醍醐水を持ち帰らせていただき、それを飲みながら制作に入った。

如意03

8月の1日から7日間、醍醐寺で生活させていただきながら、私は「清瀧宮本殿」の前に作品を作った。
唐で密教を学んだ弘法大師について青龍が日本にやって来、海を渡ったためサンズイが付いた清瀧となったという。
醍醐寺の開祖、聖宝理源大師は弘法大師の孫弟子である。

清瀧宮は、現在は閉じられている本来の金堂に向かう門をくぐった左手にあり、その反対の右手には五重塔がある。
仏教寺院のこの位置には、寺院建立前にあった氏神様や神道的な神様が祀られることが多いという。
初めて訪問したとき、醍醐寺の方に「どこでもお好きなところに作ってください。」と言われ、
何も知らない私がこの場所を選んだのは、ひっそりと立つ「清瀧宮本殿」とその前の静かな空間に惹かれたためだったが、
その後、清瀧や醍醐寺の歴史などを知るにつれ、何か不思議な必然を感じた。
というのも、2012年の辰年は、私は日本各地で龍をつくる龍の旅をしていたからだ。

如意04

「清瀧宮本殿」は、重要文化財に指定されているが、その前には拝殿と大きな桜の木があり、国宝の五重塔や金堂からは影になって目立たず、
立ち寄る人も少なく、何か、忘れられた場所のように感じられた。
静かであれば私は制作に集中できるし、自分が作品を作ることで、これまで来なかった人が足を運ぶようになれば、それもいいことだと思う。
そんな何気ない直感で選んだ場所は、醍醐寺の原初根幹の醍醐水からつながる清瀧を祀る場所だった。
私は、醍醐の山頂から湧く水が世界に広がっていく様を作ることにした。
作品中央の地面から湧き上がった水は、うねりとなって盛り上がり、二つの性質、方向性をもって広がっていく。
向かって右側は、川の流れのように、溶岩のように、地表を覆い、低い方へ流れ、地中へ浸透していく。
左側は、風にのって舞い上がり、細かな滴になり、気体となり、空へ向かって拡散していく。
天と地へひろがる二つの水は世界を循環し、命もまた世界を巡る。

如意05

醍醐寺境内を使って行われた「万灯会」に合わせて夜にはロウソクを灯した。
長年、手作りのロウソクを提供してくれている静岡の「ちろりろうそく」が、天然の蜜蝋だけを使って作ったロウソクを持ってきてくれた。
火もまた世界を巡るいのちの根源エネルギーであり、火の力なくして水の循環は起こらない。
電気の照明よりも生きた火の明かりに、私はいのちを感じる。
蜜蝋のロウソクは、パラフィンのロウソクにはない静かな温かみや浄化の力を感じる。
水と火が出会い、竹にいのちが吹き込まれたかのように思えた。

如意05

醍醐寺のお坊様から「如意」という言葉をいただき、タイトルとした。

如意とは、意の如(ごと)く。

如意輪観音様は、あなたの内面を映す観音様だそうだ。
あなたの心が優しいときは優しい微笑みを、あなたが怒っていれば怒った顔を、あなたに向ける。
私は、観る人によって様々に観えるもの、これは○○です、と規定できないものを作りたいと思う。
それは私が自由な精神の遊びを求めているからだ。私が作ったものに何を見るかは、あなた次第。
作品の周りを歩くと、角度が変わって別のものが浮かびあがってくる。
陽が傾けば、違った表情が現れるだろう。世界はとどまることなく、今この瞬間も移ろっている。

如意06

私たちは生を楽しみ、己の幸せを実現するために生きているが、
時は漫然と過ぎ、何となく流されていくことはたやすい。
私たちの心・魂が本当に欲するものは何だろうかと問い続け、それを掴むことは大切だと思う。
その問いが世界の変革にもつながるのではないだろうか?

如意07

自由に夢が見られても悪夢を見るのが人間だ。

如意08

「如意」とは、孫悟空の如意棒のように、一般的に使われるように、「全てが自分の意のままになる」ことではないと思う。
自らの「意」を見定め、天の「意」に従うことを指している。
私たちが真に求めるものは何なのか、という問いの中に、私たちの未来があると私は思う。

如意09




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